つぶやきの力と無力な俺が想うこと

  17, 2011 04:38
未曾有の大災害からすでに6日が過ぎた。
被災された方を思うと心が痛む。

そもそもブログというものを自分の備忘録としてしか活用していない私が
恥ずかしながら少しだけ考えを外に発信してみたい。
こんな時だからこそ。

【Twitter もっともっと広まれ】
なんの因果かTwitterを始めて一月もたたないのだが
140文字で伝える通信手段の絶大な公共性を目の当たりにして思うことがある。

情報の速さと強靭な通信手段、必要情報の共有。
言い始めたらきりがない。
これはすでにひとつのメディアと言ってもいい。

そして周知の事実であると思うけど敢えて言いたい。
ニッポンを一つに纏め上げるメディアに発達していること。

デマだ不謹慎だと、いろいろ言われているけど、震災直後から今まで
ユーザーが作り上げたルールに則って
見事な統制がとれているではあるまいか。

フォロワーの多い有名人、著名人の方の献身的なリツィートによって
裾野に広がる情報網の速さ。目を見張るものがある。

TVやラジオを否定するわけではないけれど、一方通行のメディアより
いま一番民意を反映した双方向のメディアとして私はTwitterを支持している。

私が言うのもなんだけれど、Twitterなんて、、と思っている人がいるならば
騙されたと思って「つぶやき」のパワーに触れてほしい。
人それぞれの受け取り方はあるだろうけれど
私は素直にすごい時代になったなと思っている。
喰わず嫌いだと、もったいないお化けが出る騒ぎのレベルではないと思う。


【日本のTVは情報メディアとして生き残れるのか】
「いんたーねっと」なんて外来語が広まる前まで
TVとは世界中で情報を共有できる最もパワフルなメディアだったはず。

しかし今はどうだろう。

こと日本の放送局が発信している情報のレベルの低さ。
日本のジャックバウアー枝野官房長官と、東電、原安保の発表をLIVE放送するのならば、
まずはインタビュアーのレベルの低さを改善してほしい。

震災の悲惨な映像をこれでもかと流し、それを叩かれると避難所に乗り込んで空気の読めないレポート。
そんなことしかできないから言い訳のように、原発問題を素人が公共の電波を利用して
ああでもない、こうでもないと大騒ぎ。

日本中が被災地支援の為に、臨機応変に必死の努力をしている時に
放送倫理という固定観念を曲げないこの姿勢。
映像だけ見るのであれば今はTVでなくてもいい時代なのだ。

余震が続く現状、TVをつけている意味は、緊急地震速報のあの不吉な音を聞き
いつでも屋外に脱出する為のきっかけでしかない。

公共放送であるのならば、未だ安否が確認できない被災者の方の名前を公表し
少しでも現地の支援になる放送を心掛けてほしい。
この非常時に既存の放送倫理に縛られているならば、うるさい蚊の音と同様だ。

被災していない地域に向けた情報発信ではなく、被災地と被災者の為に情報を発信する
放送を切に希望する。


【そして今、自分にできること】
とにかくパニック状態にある日本であるけれど
不謹慎かもしれないのだが、私はそうは思っていない。
天災は除いて、日本は高度に統制された危機管理能力のある国だと思っている。

今やすっかり呑んだくれ親爺になってしまったが、
私は1995年阪神淡路大震災があった時、
ライフラインが止まっている震災直後に、
東京からボランティアとして現地に行った経験がある。
今で言う、おしかけボランティアだ。

被害が甚大なエリアには、危険が伴うので入る事はできず、
三宮の市役所内に出来た支援物資置き場の仕分け作業を行った。

全国から送られてくる気持の籠った食料や支援物資。
その気持ちとは裏腹に、食料は現地で開梱すると腐敗しており、全て廃棄。
ひたすら増える支援物資なども被災者、避難所への運搬は不可能。
10キロそこらの距離の避難所に簡易ベッドを車で運搬するのに
幹線道路、交通網の大混乱で一日がかり。

はっきり言って、おしかけボランティアで満足したのは
本当に自分だけだった。
現地の逼迫した状態を見知ったのは自分の見識になっているが
それもまた自己満足だったと思う。

自分を含めた現場のパニックぶりをよく理解していると思っている。

そんな私が思うこと。

被災者の方は一分一秒を争う非常事態だ。
もっともっと支援態勢をスピードアップして、一人でも多くの方への支援を
国を揚げて行って欲しいと思っているのは私も一緒である。

ライフラインの復旧、支援物資の現地への輸送、これはどんな時であれ時間を要する。

もちろん、現状の支援態勢がいいとは私も思っていない。
しかし、私が見た阪神淡路大震災時の態勢から見ると
これでも可能な限り最大限のスピードと、現地の混乱状態を最大限回避していると思っている。

数々の歴史的な震災を乗り越えてきた日本人の経験が
震災時の行動理念をよく理解できているからである。

個人個人が好き勝手に行動を起こすのではなく
被災者、非被災者という観点で行動を行える経験値を
国も国民も持ちえているということ。

被災された方は極寒の中、自治体等の指示に従って必死に耐えている。
人命救助は自衛隊を始め、専門部隊にしかできないことがある。そして最大限の成果を上げている。
現地の医療関係者は物資の無い中、懸命の医療を施している。

では、被災していない私ができることは何か。

風評に流されない為に情報と知識を集めること。
被災者の迷惑になることをしないこと。

エネルギーが足りないなら、「節電」
モノが足りないなら「節約」
国の指揮系統や統率力に不満があったとしても「節度ある行動」
被災者へ自分の気持ちを届けたいなら「募金」
医療体制を憂うなら「献血」「自らの健康管理」

いま日本はひとつになっている。
被災者の方の力になりたい。
その思いでひとつになっている。

無力な私だけど、皆が力を合わせれば
その想いはきっと届く。

そう信じている。

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